生きていれば、誰であれ、辛さや苦しさや哀しさに、心が落ち込むことがあると思います。
落ち込みが酷ければ、「どうしようもない・・・」と、ただ喘ぎ続けるだけ。
誰かに相談してみれば、と言われても、
何か気分転換を、と言われても、
そこから抜けられるとは、思えない。
これは、私自身の過去の経験だし、今も抜けきれたとは言えません。
そんな中で、母を看取るまでの母と私の生活と、世話人コラム第2回で書いた、「にあんちゃん」のことが、頭に浮かび、
誰かを大切に思う気持ちがあれば、生きていこうと、少し思える、と気づきました。
母に寂しい思いをさせながら死なせたくない、母に楽しい思い出を沢山残したいと、思いながら半分夢中で暮らしていた時は、現実の自分の状況を直視すれば、悩み落ち込むのが当然な時にも、生きていくことしか、考えませんでした。
「にあんちゃん」の安本末子さんは、自分も貧しく苦しい生活をしているのに、こじきをしている親子のことを、親身に心配する、心の潤いを、失っていませんでした。
でも、誰かを大切に思う気持ちがあれば、生きていこうと思えるとしても、現実には、
大切に思う、誰かが、いない場合もあります。
辛いことばかりがずっと重なって生きてきて、
誰かを大切に思うことなんて、できない場合も、あると思います。
そんな暗闇の中に、
自分のつらい気持ちを言葉にして書いてみる場
があり、
まだ見ぬ誰かが、読んでくれることもあると思いながら、
自分の思いのありのままを書き込むことは、
私は、
誰か(読んでくれる人)を、大切に思うこと
なのではと、思うのです。
更に、そんな書き込みを読んで、
同じようにつらさを抱えて生きている人(仲間)の存在を感じられるなら、
それも、私は、
誰か(書き込みをしてくれた人)を、大切に思うこと
なのではと、思うのです。
私は、
文章の向こうにいる誰かの存在が、
人を支えることがあると思います。
「誰かを大切に思う気持ちがあれば、生きていこうと、少し思える」
との、私の思い込みから作られた、辛さマジる場
ここの存在が、心の片隅に残って、
「もう少し生きてみようかな」と思えたり、
「生きてもいいかもしれない」と思えたり、
あるいは、「生きてみたいな」と、感じられる瞬間があって欲しい、
と願っています。
私にとって、この辛さマジる場は、
誰かの為に、というだけでなく、
自分もここに書いてみたい、自分も、ここに居たいと思っています。
私は世話人と名乗っていますが、参加者の一人です。
誰かを大切に思える自分でいたいから
私もここに、自分の思いを書いていきます。
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