私の恩人

今、70歳を超える年齢になって、
自分の恩人のことを、以前よりも思い出すようになりました。

恩人とは、
自分が今、こうして生きていられるのは、その人のお陰だと思う人のことだと思います。

私の母は、私の最初の恩人でした。

私は2歳半頃、ポリオ(脊髄性小児麻痺)という病気に罹り、
以後、左足が不自由になりました(右足にも少し麻痺は残っています)。

その際、入院した私を一人で病院に残していくことができず、
母は、自分が高熱を出してしまっても、無理を重ねながら付き添いを続けてくれました。

退院後は、足のマッサージのために、
通勤ラッシュの朝の時間帯に、私をおんぶして、
バスと山手線と、またバスを乗り継ぎ、
平日はほぼ毎日、病院に通ってくれました。

マッサージをしなくなってからも、
歩行訓練や、階段を登る稽古などを、ずっと続けてくれました。

そのお陰で私は、走ることはできなくても、
杖なしで歩くことができるようになったのだと思っています。

次の私の恩人は、
私と同年齢の健常者の曽根君(あだ名はソネパン)です。

私は、幼稚園に入っても他の園児と同じように動けないことを両親が懸念して、
幼稚園には通わず、母と時間を過ごしていました。

そんな中で、楽しみにして通っていた紙芝居屋さんで、
やはり幼稚園に行っていなかった、近所に住む曽根君に出会いました。

他に同年齢の友達がいない同士として、
私たちは友達になりました。

曽根君は、足が悪い私と、
色々なところへ行ったり、色々なことをしたりして、
一緒に遊んでくれました。

その友達関係は、小学校3年生のときに、
私が転校するまで続きました。

私が引っ越す当日、
曽根君と、その後に私たちの仲間になった同級生の山本君(あだ名は山ちゃん)が、
見送りに来てくれました。

私が今、下手ながらも、テニスやスキーやバドミントンを楽しめるように動けるのは、
曽根君や山本君が、私に付き合い、一緒に遊んでくれたからだと思います。

彼らと行動を共にするために、
私は頑張って歩いたのだと思います。

曽根君と山本君が、もし、いなかったら、
私は今、どんなふうに暮らしているだろうか。

きっと、スポーツを楽しむような生活は、
していなかったのではないかと思わざるを得ません。

彼らとは、私の転校以来、
それっきりになってしまいました。

今、もし会うことができたら、
心から、お礼を言いたいと思っています。

その後も、多くの友人や仲間、
関わってくれた人たちが、
私に色々な機会やチャンスを与えてくれました。

私は、すべての面で恵まれていたとは言えないかもしれません。
けれど、恵まれなかった人生だったとは、決して言えないと思っています。

私はこれまで、
誰かへの信頼や期待のようなものを、
そうした人たちから、手渡してもらってきたのだと思います。

だから私は、
今、こうして生きていられるのだと思っています。

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