小さなあかり

孤独な人、心につらさを抱えて生きている人に寄り添うとか支援することを目的とした、個人や組織の映像を見ると、そこに映る人たちは、明るい、何だか楽しそうにさえ見える表情をしていることが多い。

私はそれに、違和感を感じてきた。

明るい表情の人たちは、善意の人なのだと思う。
けれど、自らの心の中に、どうしようもない深い孤独やつらさを抱えながら生きている人にとっては、その善意の笑顔の人たちを、自分とは縁遠い世界の人のように感じてしまうのではないか。私自身は、そう感じてきた。

孤独やつらさ、苦しさを抱えて生きる人にとって、大切なのは、誰かに分かってもらうことではなく、誰かと共感し合えることなのではないか。

他の人の孤独やつらさ、苦しさを、自分の孤独やつらさの実感から想像する。
私にとって共感とは、お互いに、相手の孤独やつらさ、苦しさを、それぞれの実感を込めて想像できていると、思い合えるようになることだと思う。

共感し合えれば、自分のありのままを、率直に話すことができる。話せるというよりも、自然に、話したくなる。

そんな関係は、自然に生まれるものではなく、どちらかが、自分のありのままを話し出すことから、少しずつ始まっていくのだと思う。

私は、自分から話し出すようにしている。
相手も話してくれるとは限らない。
それでも、何度でも自分から話し出すことで、いつか、その人も、自分も、
「話してもいいかもしれない」
「話してみようかな」
そう思えるようになるのではないかと、期待している。

そうして、共感し合える関係が生まれても、苦しさや辛さが消えるわけではない。
でも、たまに、その苦しさや辛さを、笑いの種にすることができるようになることがある。

その笑いは、面白さや楽しさではなく、共感し合えていることの、嬉しさから生まれているのだと思う。

その嬉しさは、心につらさや苦しさを抱えて生きる人生の中の、小さなあかりだと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA